ハーマン・ランボーのキューです。日本ではあまり知られていないと思います。「ランボー」と聞いて映画ではなく、キューメーカーの事を思い浮かべる人は相当なキューマニアですね。おそらく日本国内でランボー・キューの実物を見たことがあるという人はごく僅かでしょう。スタッフ野田もアメリカでしか見たことが無く、初めて目にしたのは名匠バート・シュレーガーを訪問した際のことでした。彼は自宅で大切に保管されていたランボーキューを私に見せながら、ランボーにキュー製作をいろいろ教わったという思い出話を聞かせてくれました。つまり、あのバート・シュレーガーの師匠だったほどのキューメーカーの大家だったわけです。
ランボーは生涯で2~3,000本ほどのキューを製作したと言われており、これは非常に少ないというほどではありませんが、良好な状態で現存するキューが少ないため、滅多にお目にかかることのないキューです。
現存数が少ない最大の原因は、製作年度が非常に古いことにあります。製作者ハーマン・ランボーがキュー製作を始めたのは今から100年以上も前になるのです。このキューはランボーが晩年近く(1967年没)になって製作したものと思われますが、それでも1960年代であり、当時の塗料や接着剤は現代の物より数段性能が劣るもので、それが50年以上も経てば経年変化で劣化がすすむことは避けられません。
フォアアームです。
このキューはブランズウイック製のタイトリストモデルのハギを利用して製作されたもので、かのバラブシュカをはじめとした当時の多くのキューメーカーが同様の事をしていました。経年で変色した5/16-14山の真鍮製のジョイントもオリジナルの物です。
フォアアームにはランボーのサインと共に、注文者の名前が手書きで入れられています。シャフトにもイニシャルが入っています。私がシュレーガーに見せられたキューにもサインが入っていました。ただ、このようなサインを入れるようになったのは晩年の作品がほとんどのようです。
実はランボーはブランズウイック社でキュー製作部門で働いていた経験があり、もともとはフルスプライスで製作されていたタイトリストキューの構造については知り尽くしていました。
バットスリーブです。
樹脂のドットインレイで構成されたデザインとなっています。
前述のシュレーガーが私にしてくれた思い出話の中で、「ランボーは不具合を発生させる可能性があるためキューにインレイを入れることを好まなかったが、インレイを入れたキューの製作要望があまりに多かったので、仕方なくインレイのキューを製作していた。」という内容がありました。実際、当時のキューにはインレイの脱落などの不具合が良く見られます。現在では工作機械の精度や接着剤の性能向上により、そのような心配はまずありません。
このキューの鑑定書です。
自身もキュー製作を行ない、キューについての著作をしているポール・ルビーノ氏によるものです。ルビーノ氏はビクター・ステイン氏と「ビリヤード・エンサイクロペディア」を著したことで知られています。
このキューには手書きサインがありますが、まったくサインのないランボー・キューも多く、タイトリストキューを元にして製作された他のキューとの判別が非常に難しいので、このような鑑定書の有無は大きな意味を持ちます。
ランボーの死後、BCA(アメリカビリヤード協会)はビリヤードの殿堂に彼の名を登録しました。これはBCAのルールブックで紹介されている殿堂入りした人たちの一覧に掲載されたランボーの記事です。彼はキューメーカーとして登録された初めての人物でした。ちなみに二人目はかのジョージ・バラブシュカであり、いかにランボーがキューメーカー達に与えた影響が大きいものだったかが伺えます。
7月20日は「ビリヤードの日」です。
これは1955年7月20日にビリヤード場を風営法の対象外とする法案が成立したことを記念して定められたものです。
この機会にお近くの足を運んでみてはいかがでしょうか。