久しぶりにビリヤード雑誌「ポケットハウス」のご紹介です。
第5号となるこの雑誌は1988年の5月号となっており、前号同様に映画ハスラー2のビリヤードブームの最中に発行されています。
90ページ以上ありますので、数回に分けてお送りします。
表紙には俳優として有名な柳葉敏郎の名があり、インタビュー記事が掲載されています。
(インタビュー記事は後半のページに掲載されていますので、ご紹介は後日となります)
2~3ページ
全国にプールバー「ロサンゼルスクラブ」を展開していた新関建設㈱の広告を挟んで、フィリピンの名手ホセ・パリカのトーナメント優勝が報じられています。
ハスラー2のブームはこの時が絶頂期で、ロサンゼルスクラブはこれ以降は急速に規模を縮小していきます。
4~5ページ
広告を挟んで当時アメリカのトッププロだったキム・デーブンポートとデビッド・ハワードの対戦の紹介です。
ビリヤードブームの終焉が近いことを敏感に感じ取った業者がスロットレーシングなどをポストビリヤードのアミューズメントアイテムとして模索し始めていました。
ちなみにこの広告主のアトラスという会社は数年後にあの「プリント倶楽部(略称プリクラ)」を発売して
大ヒットを飛ばす事になります。
6~9ページ
JPBA長矢賢治プロの紹介記事です。
ビリヤード歴の長い方には「マスター賢さん」の名で馴染みがあると思います。
当時は新関建設㈱の社員で、スタッフ野田は蒲田のロサンゼルスクラブで長矢プロが練習しているところを偶然見かけたことがあり、30分以上もの間一度もポケットに失敗しないプロの技に感激し、自分もあれくらいの腕前になりたいと熱意を燃やした覚えがあります。
今年75歳となり、さすがにもうトーナメントに出ることはありませんが、アダムジャパンで元気に働いておられます。
10~15ページ
目次と広告を挟んで作家の高橋三千綱(たかはしみちつな)氏のインタビュー記事です。
既に故人となった方で、芥川賞を受賞した作家さんだそうです。
16~20ページ
オーシャン・ワールドカップというナインボールのトーナメント記事です。
優勝はホセ・パリカ、準優勝はルドルフ・ルアット、3位がフランシスコ・ブスタマンテと同率でJPBA井上淳介プロというフィリピンプレーヤーが席巻する結果となっています。
もしこれにエフレン・レイズが参戦していたら、どうなっていたことか・・・
アマチュア部門の上位者の多くは後にプロ転向しており、女子部門で優勝した佐野清子選手も後にプロ転向しています。
21ページ
第1回ナインボール・アジアサーキット最終戦の紹介記事です
台湾で第1戦、フィリピン第2戦が行なわれ、そして最終戦が日本で行われました。
こういった複数の国を回る共同開催トーナメントというのは珍しいのではないでしょうか。
22ページ
全日本ローテーション選手権のトーナメント記事です。
プロ・アマ混合のオープン戦だったようで、後にプロ転向する利川さんや望月さんも参戦しています。
23~25ページ
プロツアーと全関東ナインボール選手権の紹介です。
この当時のプロ組織は関東がJPPA、関西がPBCJに分かれており、別々にトーナメントの開催をしていました。
全関東ナインボールは現在でも続いているトーナメントですね。
当時の参加者は300人(!)もいて、会場の渋谷CUEは100台を擁するビリヤード場でしたが、それでも終了時間は深夜になり、参加選手も運営した人たちも大変でした。
今回はここまでです。
現在はこの雑誌が発行された当時よりはるかに多くのビリヤード関係の書籍があります。
キューショップでもいろいろ取り扱っておりますので、ご検討ください。