スタッフ野田です。
ビリヤード雑誌「ピカソ」第2号のご紹介です。
表紙に描かれている横顔のキャラクターはピカソマンと呼ばれて、ピカソの顔として本誌内にちょくちょく登場するようになります。
モデルはパブロ・ピカソなんでしょうか?
2・3ページです。
井上淳介プロのお店「吹田中央」が紹介されています。
スタッフ野田は行ったことがないのですが、今でもこのお店は
大阪方面の主要ビリヤード店舗のひとつとして健在です。
4・5ページ
ピカソ・レディのコーナーです。
正直言ってスタッフ野田にとってはどうでもいい(当時も今も)ページなのですが、読者には人気があったんでしょうか?
6・7ページ
個人的なビリヤードプレーヤーと大学のビリヤードクラブの紹介です。
紹介された人はまだビリヤードをやっているのかな?
紹介されたクラブはまだ活動しているのかな?
今はなき「BIGBOXビリアード」の広告があります。
ビリヤードではなくビリアード・・・
まあ、BILLIARDをなるべく忠実にカタカナにするとそうなりますね。
実はこの単語は案外発音が難しいうえに、単純にBILLIARDSと言うとスリークッションなどのキャロムビリヤードと思われてしまったりと、なかなか厄介です。アメリカの本屋でビリヤードの関連雑誌が欲しくて、店員にBILLIARDと言ってもなかなか通じなかった思い出があります。POOLと言えば今度は水泳と間違われそう・・・
8・9ページ
テレビ東京の取材記事です。
全国放送の番組かどうかは不明で、関東地域にいた人しか見ることができなかったかもしれません。スタッフ野田も見た記憶はないです。
三浦陽子プロの1日をドキュメンタリータッチで紹介するような内容だったようです。
彼女は本当に可愛いですね。
10・11ページ
東京近辺のビリヤード場を紹介した手描きマップです。
当然ながら、これ以外にも相当数の店舗があったと思います。
今でも営業している老舗もあれば、すでに閉店して無くなっているお店も相当数あります。
12・13ページ
なんと奥村健プロのテクニカル講座のページです。
当時、スタッフ野田がもっとも楽しみにしていたページです。
奥村プロの記事が連載できるところからも編集長の村田さんの顔の広さが伺えます。
ローテーションのクイズが掲載されていますが、お分かりになりますか?
14・15ページ
モリノヨシヒロさんのエッセイが掲載されています。これはきっと現在もプロとして活躍されている森野義博さんですね。
このエッセイ、いま読み返してみると、なかなか味のあるものだと思います。
ポケットビリヤードは的球が入ったかどうかで正しいプレーができたかどうかが誰にでも明確になるという分かりやすさを持っています。それゆえにスタッフ野田は初心者の頃はひたすら的球を入れる厚みを掴むことに必死になっていました。
このエッセイの中に「入るかどうかなど撞いてみなければ分からない。だから入るかどうかを心配することなど無用で、ただ入れようとして撞くだけだ。」という文面がありますが、まさにその通りだと思います。
16・17ページ
バラエティ&読者投稿のコーナーです。
「子持ちハスラーの悲劇」は家族ができたためにビリヤードをする時間が大幅に削られてしまった人の悲哀の物語です。全く同じ環境に置かれた経験を持つスタッフ野田には身につまされる話です。(当時はまだ独身でしたが)
ビリヤードと家庭を両立させる方法はただ一つ、家族(特に奥さん)をビリヤードの世界に引きずり込むことです。しかしそれが至難の業であることは言うまでもありません。(経験者談)
「されど編集長」で村田さんの紹介があります。
村田さんは東大の学生で、しかも高校を中退して、独学で東大に入学したとは・・・
何が幸せかは本人にしか分かりませんが、ビリヤードにのめりこまなければもっとマシな(?)人生を歩めていたのでは・・・
18・19ページ
読者プレゼントのコーナーです。
日本全国から応募があったことがわかります。
定期購読のお知らせがありますが、1年間に何回発行されるかが明記されていません。後に奇数月発行の隔月刊となるのですが、この頃はまだ先行きが見えなかったのでしょう。
それでも年間購読を申し込む人は多く、スタッフ野田もその一人でした。
20ページ(裏表紙)
第2号は創刊号に比べて広告が大幅に増えていて、それに伴ってページ数も増えています。
近日中に第3号をご紹介します。
この当時から営業を続けている老舗ビリヤード店「ビリヤード・ロサ」には当社のプロショップがあり、豊富な品揃えで皆様のご来店をお待ちしております。
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