こんにちは、スタッフ野田です。
「ピカソ」第4号のご紹介です。
2-3ページです。
ロサンゼルスクラブの第1号店(原宿店)オープンの広告です。
「プール・バー」の元祖と言われるロサンゼルスクラブは、日本全国を席巻していくことになります。
スタッフ野田は原宿のお店には行ったことがないのですが、どんな感じだったんでしょうか。
4~5ページ
広告のページです。
神戸市や清水市といった地方都市のお店の広告が掲載されていることからも、ピカソが日本全国の多くの人々に読まれていたことがわかります。
6~7ページ
新コーナー「CUEを持った狼たち」のページです。
第1回はスリークッション世界チャンピオンの小林伸明プロです。
息子さんもプロとして活躍されていますね。
神様と呼ばれたクールマンを破ったことから「神様に勝った男」と言われて評判になりました。
この紋付羽織を着た小林プロの写真は元はカラーで、かのロバート・バーンがこのカラー写真のポスターをコレクションに入れていました。
8~9ページ
ピカソレディのページです。
コメントは差し控えます。
10~11ページ
ビリヤード設置店舗の紹介です。
大和のロリエ所属として長矢プロの写真が掲載されています。
当たり前ですが、若い!
両脇にいる二人の女性もビリヤードのインストラクターだということですが、誰なんでしょう?
現在は写真の建物の横に新館が建っていて、ロリエはそちらに移転しています。
新宿のアシベ、池袋のロサといった老舗店舗も紹介されています。
12~13ページ
全日本選手権のページです。
アーティスティック、14-1、ナインボール、ローテーションと、当時は多彩な種目で競われていました。
同時開催として全日本スリークッション選手権も紹介されています。
ポケットとキャロムの選手権を同時に同じ場所で開催するなど、今では考えられませんね。
14~15ページ
ビリヤードマップの神奈川編です。
今でも健在のお店が結構あります。
黄金町(こがねちょう)の横浜ゲームセンターは、後にビリヤード・エディとして知られるお店です。オーナーの田中さんはカスタムキュー好きだったこともあってスタッフ野田とは妙にウマが合い、常連さんとも楽しい思い出がいっぱいあったのですが、田中さんが急逝してしまい閉店となってしまいました。
ビリヤードスミヨシの紹介に「すべてがガリオン!」という謳い文句があります。当時はブランズウイック製のテーブルは少なく、スーパーガリオン、スーパーローレルといったテーブルに人気がありました。渋谷のビリヤードCUE(当時はビリヤードQ)もかつてはすべてスーパーガリオンでしたが、今は全部ブランズウイックになっています。そして現在アメリカでは多くのトーナメントでダイヤモンドテーブルが採用されています。
時代の移り変わりを感じますねえ。
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奥村プロのビリヤード教室のページです。
スタッフ野田御用達のコーナーです。
今回は厚みについての解説です。
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ビリヤードのクイズです。
今回はファールについての問題が多いですね。
問5の解答で14-1で的球の飛び出しはセーフであるとなっていますが、現在は他のゲーム同様にファールです。
確かにこの頃はセーフの扱いになっていて、スタッフ野田も最近までずっとそう思っていましたが、どうも2001年頃にファールに変わったようです。
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東京大学のビリヤードサークルの紹介です。
東大にもあったんですね。
当時大きな大学の周囲には雀荘とビリヤード場は必ず複数店舗存在するという印象がありました。
実は私が通学していた大学の近くにもビリヤード場があって、やらないかと誘われたことがあったのですが、学生の身分ではお金もなくて断ってしまいました。
あの時誘いに乗っていたら、人生は大きく変わっていたかもしれません。
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PBCJ(現JPBA西日本)の太田プロの紹介です。
私がプロテストを見学するために茨木中央ビリヤードに行った時、当時PBCJ会長だった太田プロは写真やビデオの撮影を快諾していただき、私が撮影しやすいように便宜を図ってくれました。
また、全日本選手権の会場でもプロ選手のサインをもらったり一緒に写真を撮ったりするのを手助けしていただきました。
とにかく「ファンを大事にする」ということを第一に考えていた人ではなかったかと思います。
太田プロ主演のビリヤード教本ビデオも発売されていました。
20ページ
亀戸のビリヤード・ルパンの広告です。
ビリヤード場としては知名度のあるお店で、現在も営業されています。
1986年の秋に開店したということは、もう30年以上の歴史があるということになります。
開店時に設置されていたと思われるこの写真のテーブルは、どこのメーカーのものなんでしょうか。
21ページ
桂マサ子さんと、ウォルター・リンドラムの紹介です。
マサ子さんは妹の桂典子さんとともにビリヤード姉妹として有名ですね。
ストレートレール(四つ球あるいは三つ球)の女子のチャンピオンとして16年間も君臨して、全日本選手権でも2回準優勝しています。
ウォルター・リンドラムはオーストラリアの世界チャンピオンだそうですが、日本ではあまり知っている人はいないと思います。
1932年1月20日に4,137点のランを出したという記録が残っています。
これはイングリッシュ・ビリヤードというゲームで出された記録とのことで、このハイランが出たためにルールの改正が行なわれたという逸話が残っています。
22~23ページ
「国電 恵比寿駅前」という表記がいかにも昭和ですね。
無とんちゃく先生のエッセイが好評だったようで第2弾が掲載されています。
21世紀はビリヤードの時代と書かれていますが、日本は超高齢化社会となることが必至で、何歳になっても体が動く限り楽しむことのできるビリヤードはそんな時代にうってつけだと思います。
そして定番の読者からのお便り紹介コーナーです。
24~25ページ
ピカソのバラエティコーナーです。
太田プロのレッスンビデオの広告がありますが、スタッフ野田がこれを買い込んだのは言うまでもありません。捨てたはずはないのですが、どこにあるのか現在行方不明です。
太田プロが女の子にビリヤードを教えるという内容でした。
最後に何人かのプロがトリックショットを披露していて、私はこれをマネして一生懸命トライした記憶があります。
26~27ページ
ピカソが隔月刊になるという告知がされています。
この号までは不定期(季刊?)でした。
ちなみに「発行所ポケットハウス」の表記があります。
ピカソは第8号までで、その後は「ポケットハウス」になるのですが、その名称はすでにこの時点で使われていました。
裏表紙
第4号は全28ページで第3号より4ページ増えています。
隔月刊にするのも今後の売り上げが見込めるゆえだったと思います。
第5号は1987年の発売となるのですが、1986年12月に映画「ハスラー2」が日本で公開され、あの一大ビリヤードブームがやってきます。
そしてピカソもそれに伴って変貌していきます。
現在は多くのビリヤード関係の書籍が発行されています。