こんにちは、スタッフ野田です。
「ピカソ」第7号のご紹介です。
表紙は前号からフルカラーになりました。
これ以降、ポケットハウスに引き継がれた後も、表紙はカラーのまま続きます。
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ロサンゼルスクラブの広告です。
この広告ページもカラーになっています。
発行部数が増えるのに伴って、だんだん中身も豪華になっていきます。
長矢、奥村、逸崎プロのレッスン広告もあります。
10回のレッスンで17,000~25,000円。
結構人気があったようです。
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前号から掲載されるようになった目次です。
奥村プロのビデオ「ザ・テクニカル・プール・バイブル」の広告があります。
スタッフ野田がこのビデオを買い込んだのは言うまでもありません。
でも誰かに貸して、そのまま行方不明です。 DVDにコピーしておけばよかった・・・
ロサンゼルスクラブのアイドル(伊藤ひとみさんだったかな?)と奥村プロの対戦が収録されていたのを覚えています。8剣のガス・ザンボッティを操る奥村プロが最高にカッコ良くて憧れていました。
4~6ページ
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広告のページです。
ウエスリー大山さんの広告があります。
奥さんはWPBAプロのケリー大山さんで、当時アメリカのカスタムキューをたくさん日本に紹介していました。奥村プロのザンボッティも彼の紹介によるものだと聞いたことがあります。
スタッフ野田は彼がビリヤードQの華台でプレーするところを見たことがありますが、独特のロングストロークから繰り出す強烈なブレイクが印象的でした。
「ビリヤードQ」の上に「プールホールCUE」がオープンしています。
5階と8階を合わせてポケットテーブル51台となりました。
設置されていた「ガリオン台」というのは淡路亭さんが供給されていた「スーパーガリオン」でした。
そしてこのお店はさらに巨大化していきます。
7・8ページ
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漫画「ハスラー・レプリカン」の紹介です。
スタッフ野田がこの漫画を買い込んだのは言うまでもありません。
探したら・・・ ありました!
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この漫画の中に「ピカソ」の後継誌となる「ポケットハウス」が登場しています。
作者のよこみぞ邦彦さんはゴルゴ13で有名なさいとうたかを氏のアシスタントスタッフで、おそらくその関係で実現したと思われる、さいとうたかを氏のインタビューが次のページに掲載されています。
9頁
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本が売れてくると、いろいろな所にカオがきくようになるんでしょうか。
さいとうたかを氏の直筆サイン欲しいですね。
この後、よこみぞ邦彦さんのビリヤード漫画が「ポケットハウス」で連載されるようになります。
それも全話ご紹介する予定ですので、お楽しみに!
10・11ページ
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ピカソレディのコーナー。
前号ではピカソガールだったのに、この号はピカソレディ。違いは何なのでしょう?
12・13ページ
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「CUEを持った狼たち」第4弾です。
今回は逸崎康成プロです。
当時はまだ若手のホープという存在でした。
PBCJ(JPBA西日本の前身)のワッペンを付けていますが、関東で活躍することも多かったと思います。
スタッフ野田にとっては、何といっても「ダブルバンク」の印象が強い人です。
試合中(しかも決勝戦)に目の前で成功させるところを見て「そんな手があったのか!」と驚いた記憶があります。
14・15ページ
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全関東ナインボール選手権の紹介です。
この大会は、現在でも続いている歴史のあるものです。
成績表を見ると、後にプロになり若くして亡くなった照屋さんが優勝しており、準優勝はこれも後にプロになり現在は横浜でサイドナインを経営されている崎村プロ、そしてTPA重鎮の山田さんやJAPAを取り仕切ることになる中野さんなど、そうそうたる顔ぶれが揃っています。
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大学のビリヤードサークルの記事です。
関東大学ビリヤード連盟発足の告知があります。
20もの大学が参加したそうで、当時のビリヤードブームがいかにすごいものだったかが分かります。
大学対抗のビリヤード大会の案内もありますが、このようなトーナメントも活発に行われていました。
会場となった新宿のアシベビリヤードさんは今も健在です。
18・19ページ
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映画のコーナーですが、ビリヤードとはまったく関係ない内容です。
「ビリヤード狂の映画ノート」なのに・・・
スタッフ野田はビリヤードと無関係のページは削って奥村プロのビリヤード教室のページを増やして欲しいと編集部に要望した記憶があります。
20・21ページ
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ビリヤードマップ兵庫編です。
スタッフ野田にはまったく分からない地域ですが、現在はどうなっているのでしょう。
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奥村プロのビリヤード教室のページです。
今回は穴前の的球の難しさと、ヒネリによるクッションからの出方の違いを説明しています。
今では常識かもしれませんが、ビリヤードの本といったらほとんどが四つ玉を主としたキャロムの解説本しかないような時代でしたから、このような情報の提供は大変ありがたいものでした。
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ビリヤード・クイズのページです。
ちょっと見づらいと思いますので、拡大画像をどうぞ。
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第1問はフットスポットに1番と9番が縦に並んで置かれています。
当時はまだテキサスエキスプレスと呼ばれるルールがなく、ブレイクでスクラッチしたりすると、ポケットした的球をすべてこのようにフットスポットからロングライン上に並べることになっていました。
1番を狙うことも9番を狙うこともできますが、どちらも成功率は低いです。
スタッフ野田の「不可能を可能にするショット」も参照してください。
第2問は6番のコーナーへのコースを8・9番のカタマリが邪魔しているという設定です。たとえ6番をポケットできても8・9番がこのままでは取り切ることができませんね。
ちょっと難しいですが、これらの問題を一挙に解決できる方法があります。
ただ、これも成功率はあまり高くありません。
第3問は9番がサイドポケットの横にくっついている点がポイントです。
この9番、入れにくいですよね。
解答は次号です。
では前号(2019年1月24日掲載)のクイズの解答です。
第1問は引球で、的球に前進回転を与えるショットです。ポケットにごく近いこのような配置なら成功率は高いです。
第2問は9番を使ったキスショットです。7番を9番に当ててポケットするようにすれば、手球にフリが付けられるというわけです。
第3問もキスショットで穴前の9番を狙います。
第4問はクッションジャンプです。スタッフ野田はこの記事を読んで練習した結果、クッションジャンプが得意技になりました。実戦で何度も成功した経験があります。
初心者の方にはオススメできませんが、配置によっては非常に成功率が高い場合があります。
キャノンショットの解説もありますね。
第1的球に薄く当てるキャノンショットは手球のコースが読みやすくて成功率が高い場合が多いのですが、厚いと撞点によってコースが変化しやすいので、狙った所へ手球をもっていくのが難しくなります。
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ハスラー2でポール・ニューマンが披露したショットの紹介です。
図が不鮮明で良く分からないと思いますので、解説を。
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テーブル上に残っている的球は8・9番の2つだけです。
手球はクッションと8番に挟まれている格好になっています。
9番は同じ短クッションに並んでいます。この9番を入れるためにベストな手球のポジションは現在の位置なので、8番を入れても手球が動かないようなショットができれば最高ですね。
ここで手球を8番ではなく、短クッション方向へ向かって撞くと、8番は右下コーナーへ向かい、手球は押しの回転でクッションに押しつけられたまま動かないというわけです。
面白いショットですが、現在のルールではファールになりますので、お遊びとしてお試しください。
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ベーシックゲームの紹介です。
15個の的球を自由に取っていくゲームです。ブレイク以外は14-1と同じです。
スタッフ野田が初心者の頃に最初に目指したのは、ブレイクした15個を順不同で取り切ることでした。取り切るまでにミスした回数を数えておいて、それが少しでも減るように練習していました。初めてノーミスで取り切れた時はナインボールでマスワリした時よりも嬉しかったですね。
単純ですが、練習するにしたがってだんだんミスの回数が減っていき、上達しているのが分かります。ボウラードのような長丁場ではなく1ラック単位で好きなだけやればいいので、初心者にはオススメです。
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「君はハスラーになれるか?」のコーナーです。
スタッフ野田はなれませんでした。まあ、上手い「プールプレーヤー」にはなりたいですが、「ハスラー」にはなりたくありませんけどね。
念のために言いますと、「ハスラー」は大抵は卑怯な手段で相手をカモるペテン師のことで、「プールシャーク」などと呼ばれることもあります。
日本ではビリヤードをする人=ハスラーと思っている人が多いですが、間違ってもアメリカで「I'm a hustler.」などと言ってはいけません。
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シネマとミュージックのコーナーがありますが、おそらくあまり注目されなかった記事だったと思います。スタッフ野田はほとんど読み飛ばしていました。
1986年のホプキンスvs片岡プロの14-1のビデオが販売されています。
決勝戦で片岡プロのオープニング・セーフティの後、ホプキンスが100点撞き切ってしまう試合です。
これが欲しいのですが、だれかお持ちではないですか?
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神奈川県ポケットビリヤード連盟(KPBA)の紹介です。
スタッフ野田が横浜へ引っ越ししてきた時、KPBAのシンボルマークになっている怪しいオジサンのワッペンを見てドン引きした覚えがあります。
このデザインの評判がいいと書いてありますが、私には信じられません。まあ、美的センスは人それぞれですからね。ちなみに現在は全く違うデザインになっています。
奥村プロがKPBAの会員だったというのは、これを読んで初めて知りました。
32~33ページ
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読者からのお便りコーナー。
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キューについてのエッセイが載っています。
どなたが書かれたのか存じませんが、スタッフ野田と共通の思いを持っている人のようです。
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ビリヤード台を前にしたマーク・トウェインです。
これは有名な写真で、ポスターになったりしていろいろなところで目にします。
彼がどれほどの腕前だったのかは定かではないですが・・・
ブランズウイックテーブルの販売広告が載っています。
ゴールドクラウン3が120万円・・・
1987年の物価を考えると今なら200万円くらいの価値でしょうか。
バブルだなあ。
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読者プレゼントのコーナーです。
賞品は、やはりキューが人気のようです。
37~39頁
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広告のページです。
裏表紙
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裏表紙もフルカラーです。カラーページは全部で4ページに
なりました。
第7号は全40ページで第6号より4ページ多くなりました。
記事の内容も多くなっています。
何といっても本は知識の宝庫です。