こんにちは、スタッフ野田です。
「ピカソ」第8号のご紹介です。
ピカソとしてはこれが最後の号となり、これ以降は「ポケットハウス」として続いていきます。

表紙です

発行時期が夏なので、「POOL」です。

2ページ

ロサンゼルスクラブの広告です。
前の号と同じですね。

3ページ

目次です。
何と目次がカラーページに!
何か別の記事のページをカラーにするべきじゃないかと思うんですけど。

4~5ページ

 

東京で行なわれたスリークッション・ワールドグランプリの結果報告ページです。
クールマン、小林の本命・対抗を抑えて、小森純一プロが優勝しています。
この模様は全国ネットでTV放映され、スタッフ野田もビデオに録画していたのですが、そのテープは行方不明・・・
土居まさるの司会で女優の岩下志麻がゲスト、そしてNBAの西尾学氏の解説により番組は進行していましたが、司会者もゲストもビリヤードのことなどまったくわからないため的外れな発言が頻発して興醒めした覚えがあります。西尾さんも心の中で苦笑いしていたことでしょう。
ポケットよりも分かりにくいスリークッションのゲームを素人に司会させるのは無理があります。
参加者にはクールマン、ディリス、ザネッティ、ビタリス、バン・ブラハトといったそうそうたる名プレーヤーの名前が並んでいます。

小林プロはこのようなトッププレーヤーたちを相手に4位になっているのですが、それでも「期待はずれ」と記事に書かれてしまうほどの圧倒的な存在でした。

 

6・7ページ

広告のページです。

まだビリヤードブームのさなかで、新しい店舗が次々とできていました。

8・9ページ

女性だけのビリヤード・トーナメント開催の模様が報じられています。
2セット先取で、賞品はスクーター!
いまではとても考えられないですね。

10・11ページ

ピカソレディのコーナー。
だからピカソガールとの違いは何なんでしょう?

12・13ページ


「CUEを持った狼たち」第5弾です。
今回はこの号の記事でもご紹介した小森純一プロです。
スタッフ野田は小森プロのお店「コモルーム」には行ったことがないのですが、10年以上前にBCAエキスポへ行く際に成田空港で偶然お会いしたことがあります。
BCAエキスポと時を同じくしてラスベガスで開催されるスリークッショントーナメントに出場されるためでした。お話ししたことがあるのは、後にも先にもその時ただ一度だけになってしまいました。
2015年に惜しくもお亡くなりになりましたが、日本のビリヤード界に大きな貢献をされたことは誰もが認めるところです。

 

14ページ

都府県対抗戦の結果です。
北海道からの参加がないので「道」が抜けています。
優勝は大阪チームで、全員がORC(大阪ローテーションクラブ)所属員のようです。
ORCは当時全国にその名を轟かせていました。京都、兵庫そして東京も強かったですね。

 

15ページ
台湾との対抗戦の様子です。
全20試合で結果は日本の5勝15敗で、台湾に圧倒された形です。
井上淳介さんや花谷勝さんの14-1の試合があったんですね。見たかったなあ。

16・17ページ


大学対抗戦とビリヤードサークル紹介です。
「ビリヤードCUE」の受付フロントが現在と同じ6階に移っています。
この時点でポケット52台、4つ玉5台。その後さらに設置台数は増えていきます。

18・19ページ

広告のページです。
新宿サムタイムは、現在はバグース新宿店になっていますね。
この当時からスヌーカーを設置していたとは驚きです。

 

20・21ページ

池袋サンシャインで行なわれたビリヤードイベントの様子です。
2000人の観衆が集まったとなっています。
四つ玉大会優勝の天才少女、肥田緒里恵ちゃん(!)が紹介されています。

「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」という諺がありますが、日本を代表する女性キャロムプレーヤーとして有名な彼女は子供のころから凄腕だったようです。

元住吉のビリヤード・スミヨシは現在も健在で、JPBA早瀬プロが運営されています。

ハイランドビリヤードは長らく横浜の重要なビリヤード場として存在していましたが、建物の老朽化により姿を消してしまいました。

 

22・23ページ

ビリヤードマップ北陸編です。

ビリヤード・エディは現在も元気に営業されていますが、その他に何店舗が残っているのでしょうか。

 

24・25ページ


奥村プロのビリヤード教室のページです。
カーブショットの解説があります。初心者はもちろん、上級者でもコントロールが難しいショットです。

この配置の場合、ジャンプショットができるならその方がはるかに確実ですが、まだジャンプキューなるものが知られていない時期だったと思います。
空クッションの解説もあります。これについてスタッフ野田からアドバイスするなら「絶対に手球の中心を撞くこと」です。空クッション失敗の原因の多くはヒネリや押し引きで手球のコースが狂うことだと思います。

左右にひねってしまったらクッションからの反射角度が変わりますし、押しや引きが入ると反射後の手球のコースが変わります。この例のような配置なら押し引きの影響は少ないですが、入射角度が大きくなるほどその影響も大きくなります。逆に邪魔な球があったりしてシステム通りの角度で狙えない場合にヒネリなどで意図的に反射角度を変えるということもできるのですが、これをコントロールするのはかなり難しいです。
25ページはスロウの解説です。これも当時のスタッフ野田には大変役に立った知識でした。
クッションに密着した的球を逆ヒネリで空クッション(前クッション)から入れるというのは中・上級者には常識となっていますが、この時のスタッフ野田にはまさに驚愕の情報でした。
4掛けシステムの解説もありますね。
実に盛りだくさんのテクニック講座です。

当時はインターネットなどありませんでしたから、このような知識が多くのプレーヤーの福音となったことは間違いありません。

26・27ページ


ビリヤード・クイズのページです。
Aは、スロウの問題です。
Bは、ちょっと確実性に劣りますが、覚えておいて損はない方法です。
前号のクイズの解答です。
第1問はフットスポットに並んだ2個の的球をどうするかという問題でした。
図のように1番の左を右ヒネリで狙ってやれば9番が右のコーナーに向かうというものです。勿論、ポケットする保証は何もありません。場合によっては9番が2クッションしてフット側のコーナーに入るかも。(この図では3番が邪魔して無理ですが)
第2問はクッションからのキスインを狙うものです。テケテケと呼ばれる動きですね。
でもこれはなかなか難しいショットです。8・9がもっとポケットに近ければいいのですが、ポケットから1ポイントほど離れているので、かなり正確に当てないと成功しません。あまりこんなショットは練習しないと思いますが、いざという時には役に立ちますのである程度慣れておきましょう。
第3問もキスショットですね。9番を入れやすい位置に動かすために他の的球を意図的に当てるというものです。このようなサイドポケットの横にある的球は大変厄介な存在で、対処に苦労することがよくあります。

これはまだサイドポケットに他の的球を入れながら動かせるだけいいですが、サイドポケットから少し離れていてキスショットが難しいという場合もあり、そんな時は本当に困ります。
27ページのハイテク講座はキャノンショットと題されていますが、どちらかというとスロウの解説ですね。Bの配置は他の的球に邪魔されてポケットする厚みが「ぎりぎりない」場合に、ヒネリのスロウを使うというものです。ファールを避けるためにどうしても多少厚めに狙わざるを得ないことも関係してきます。

もっと大きな図にすれば分かりやすいんでしょうが、ページ数の制約でスペースが取れないのでしょう。

 

28ページ

真面目な(?)経済の問題です。
ブームにより日本からアメリカに2,500台ものビリヤードテーブルが発注されたと書かれています。一店舗平均5台として500件のビリヤード場ができる計算です。
しかもこれはアメリカへの注文だけの話で、台湾などへの注文はそれを遥かに上回ったはずです。

アメリカへの注文は「ハスラー2」で使用されたMurrey社のテーブルが欲しいというものが多く、当時は(今もかな?)ビリヤードテーブルのブランド志向が高かったことがうかがわれます。
「ハスラー2」のトーナメントシーンで使われた「6400 PROFESSIONAL」というテーブル

実は当時スタッフ野田が勤めていた会社(全国にアミューズメント施設を持っていました)でもブームに乗っかってビリヤード台を設置した店舗がいくつかあり、浜松の店舗でこの台を設置したことがありました。(今もあるかもしれない)
しかし正直言って、あまり高品質な台とは言えませんでした。せめてラシャとクッションを良いものにすればと思ったのですが、費用を抑えることしか頭にない上層部の理解を得ることはできませんでした。
早く欲しくてテーブル代金の2倍ものコストをかけて航空便で輸送する人もいたらしいですが、それだけの投資をしても充分取り返せるという勢いが当時のブームにはありました。実際、100万円で台を買っても3カ月もあれば回収できてしまうという話をあちらこちらで聞きました。
その後時代とともにテーブルの人気はガリオン、ブランズウイックへと変わり、現在アメリカではダイヤモンド・テーブルが多いですね。

 

29頁

ワンポケット・ゲームの紹介です。
日本ではほとんどプレーされることのないゲームですが、アメリカでは人気があります。

ギャンブルに使われることも多いのですが、このゲームだけの公式トーナメントもあります。
最初のうちはセーフティの応酬になるのですが、ショット&セーフで難しいバンクショットなどを織り交ぜながら攻撃の機会を伺うといったゲームです。
やってみると、なかなか面白いですよ。

30・31頁

映画の紹介です。
ビリヤードを主体にした映画なんてそうはないので、たまたまビリヤードが出てくる場面があるという映画の紹介になってしまうのは仕方がないですね。

32・33頁

シネマ&ミュージックのコーナーです。
スタッフ野田にとっては全く興味のない記事でした。
ピカソを販売しているお店の一覧が出ていますが、直前の第7号よりも20件以上増えています。

34・35頁

ピカソのバラエティコーナーです。
真面目な話として、ビリヤードは物理の実験・研究材料として昔からよく取り上げられてきました。大きさ・重さが全く同じの単純な球体同士が摩訶不思議な動きを織りなすことに驚きを感じるとともに、どうしてそうなるのかを科学的に突き止めたいという欲求が起こるのも当然のことだったでしょう。
バラブシュカの紹介もされています。この小さな写真だけでは誰のブランクを使ったものかは分かりませんが、くどくない程度にインレイが入った、いかにもバラブシュカらしいデザインですね。
金沢のエディを経営している加藤プロの所蔵品だそうですが、今もお持ちなんでしょうか。
掲載写真は白黒で小さいものなので詳細がはっきり分かりませんが、このキューはスタッフ野田が過去に所有していたバラブシュカにそっくりです。

36・37頁

ORC所属のアマチュアで、後にプロとして活躍する大橋さんが紹介されています。
キューを構える位置が顔の真下から大きく外れた独特のフォームが印象的なプレーヤーですね。

38・39頁

読者からのお便りコーナー。
巷のビリヤードブームを反映して、待ち時間の長さに文句を言う人が出てきています。
ルールを統一して欲しいという意見も出ていますね。当時はまだ明文化した公式ルールブックというようなものはありませんでした。

40頁

読者プレゼントと編集部からのお知らせコーナー。
次号からは「ポケットハウス」になるのですが、特にそれについての告知はありません。名称を変更するのはこの号を作る時点ではまだ決まっていなかったんでしょうか。

41~43頁

広告のページです。

裏表紙

「ハスラー2」で6400 PROFESSIONALが使用されているシーンが掲載されています。

第8号は全44ページで第7号からさらに4ページ増えました。カラーページは全部で11ページあります。

前述の通りピカソはこの号でおしまいで、この後はポケットハウスと名を変えて発行されていきます。
名前が変わっただけで、記事の多くはそのまま引き継がれていきます。

近日中にポケットハウス第1号をご紹介します。

 

キューショップジャパンでは、初心者用から中・上級者用まで色々な参考書を揃えています。

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「My Favorite Cues」ページでは、皆様のお気に入りキューを紹介するページです。

自慢のマイキューをこちらのページに掲載ご希望の方は、キューショップジャパンLINEで直接写真を添付送信ください。キューショップLINEはこちら
必要な写真は以下の4点となっております。

①全体 ②フォアアーム ③バットスリーブ ④ジョイント

※写真角度などは紹介されているキューをご参照ください。
※お客様のこだわりや自慢のエピソードなどもございましたら、是非メッセージご記入をお願い致します。

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