こんにちは、スタッフ野田です。
「ポケットハウス」第4号 #4のご紹介です。
この号のご紹介は今回が最後となります。
63ページからです。
奥村プロのビリヤード教室のコーナーです。
この本で最も人気があったのはこの記事だとスタッフ野田は確信しています。
5ページも使われていることが人気のある証拠です。
ビリヤードブームがくる以前に出版されていたビリヤード関係の本と言えば、ほとんどがキャロム(四つ球)の説明に主体を置いたもので、ポケットビリヤードについて技術的に深いところまで解説したものは皆無でした。
(藤間プロの「入門ポケットビリヤード」が唯一だったと記憶します)
そんな時にこの奥村プロのテクニック解説はスタッフ野田の技術向上に本当に役に立ちました。
内容も3個先を読むポジションプレーの基本から、押し引きによる加減の仕方やスロウやキューの特性など、広範囲に及んでいます。
67ページに木村プロ(故人。世界的に有名なトリックショットプレーヤー)がダルマ落としにチャレンジする写真が載っていますね。
どうしてもこのショットがやりたかった当時のスタッフ野田は、木村プロが経営されていた「ビリヤード・白ばら」に電話をかけて、的球を立たせる方法を聞いた思い出があります。
68ページ
ビリヤードよもやま話のコーナーです。
井上・戸田プロによるキャロムナイン対決が紹介されています。
当時の両プレーヤーの心中を知るすべはありませんが、相手がナイスショットを決めたら「こっちだってやってやる」という思いがこみ上げてくるのは当然ではないでしょうか。
スタッフ野田があるオープン戦で小杉プロと片岡プロの対戦を見ていた時のことをお話ししたいと思います。
ゲーム中、小杉プロが難しい遠いコーナーへのバンクショットを見事に決めてそのラックを取り切りました。
そして数ラック後、今度は片岡プロに似たような配置が回ってきました。
通常ならセーフティで凌ぐと思われる場面だったのですが、片岡プロは難しいコーナーバンクにトライしました。
残念ながらそのショットはわずかに外れてしまったのですが、片岡プロの「俺にだって意地があるぞ!」という心の声が聞こえたような気がしたのです。
男と男の意地のぶつかり合い、カッコいいなあと思ったスタッフ野田でした。
69~71ページ
いどばた情報のコーナーです。
バラブシュカの写真が載っています。カラーでないのが残念ですが、綺麗そうなキューです。
ちなみにこのキュー、スタッフ野田が以前に所有していたバラブシュカにデザインがそっくりです。↓
また、JPBAのプロテストがこの年から年2回行なわれるというアナウンスがあります。
スタッフ野田は受けたことはありませんが見に行ったことは何度かあり、緊張した空気が流れる雰囲気だったことをよく覚えています。
実際、ホームのビリヤード場ではボウラードで合格点数を軽々超える腕前をもつ人がプロテストでは合格点数の半分もとれなかったという場面も目撃しました。
技術もさることながら、プレッシャーに打ち勝つ精神力もプロになるための大きな要因であることをスタッフ野田は実感しました。
72~73ページ
草ビリヤード、つまり読者投稿のコーナーです。
ポケットハウスを月刊にして欲しいという要望が多いですね。
当時のスタッフ野田もそう思ってました。
ですから月刊のビリヤードマガジンが創刊された時は狂喜した覚えがあります。
74ページ
プレゼントのコーナー。
キューはアダムとバイキングがありますが、当時は国産のアダムよりバイキングの方が人気があったと思います。
品質は明らかにアダムの方が優っていたのですが、当時の人達には Made in USA が魅力的に思えたのです。そういう時代でした。
75ページ
ポケットハウスを販売していた店舗の一覧です。
おそらくこの頃がピークで凄い店舗数ですね。
76ページ
ビリヤードプロショップ・サンペットさんの広告です。
フリオ・スタンボリーニ、ダイヤモンド、アダム、ヘルムステッターがラインナップされていますが、これらはすべてアダム社の製品です。
かなり以前に閉店してしまいましたが、スタッフ野田はこのお店でアダムキューの特注品を注文したことがあります。
こっちのキューに入っているインレイを、あっちのキューで使われている材料を
使ってこのキューのこの場所に入れる・・・などという面倒くさい注文にも嫌な顔ひとつすることなく親切に対応してくれ、できあがったキューを長期間愛用していました。
77~79ページ
ロサンゼルスクラブ主催のジャパンオープンの記事です。
優勝した奥村プロの写真がアップで載っていますが、スタッフ野田は彼が持つキューに目がいってしまいます。
この写真でははっきりデザインが見えませんが、8剣のガス・ザンボッティです。奥村プロにもこのキューにも憧れていました。
TPA(ショットの成功率)の数字が記載されていますが、これを見ても奥村プロの力が抜きん出ていることが分かります。
80~81ページ
「岡部まり」という人のインタビュー記事です。
タレントさんだったようですが、当時有名だったのかな?
芸能界に疎いスタッフ野田には分かりません。
82ページ
編集後記です。
この号は女性をテーマにしてみたという記述があります。
確かに女性をビリヤードの世界に引っ張り込むことについては異論はないですが、女にもてるためにどうこうするという記事は勘弁して欲しいと当時のスタッフ野田は思っていました。
83ページ
広告のページです。
電動のボールクリーナーが販売されています。
台湾やアメリカの設置台数が多いビリヤード場では大抵この手の機械が置いてありますが、あまり日本では普及していないですね。
台の張替えで不要になった古いラシャを使ってボールを磨いていたお店も多くありました。
84~85ページ
面白グッズの紹介記事です。
ビリヤードに関連した商品が多いですが、関係なさそうなものも。
スタッフ野田は、指のマッサージ機「パタタ」というのが気になります。
86ページ
CUE~トなハスラーのコーナー。
いろいろ名前が変わる、編集長の趣味(?)のコーナーです。
87ページ
ビリヤードテーブルの広告ページです。
オルハウゼンのクラシックテーブルから、中国か台湾製と思われる品質の怪しそうなものまで色々な種類があります。
当時はどんなテーブルでも引く手あまたの状態で、設置場所もプレー環境の事など二の次で、台数を多く設置する為に台間距離が非常に狭い店舗もありました。
88ページ
堺正章さんのインタビュー記事です。
ケント・デリカットさんも写っていますね。
こんな大物芸能人のコーナーが1ページしかないとは・・・
当時、堺さんは「出没!玉突き」という深夜番組に出演していて、スタッフ野田も欠かさず見ていました。
この記事で堺さんはビリヤードをしたことがないと言っていますが、お正月特番などで腕前を披露していることをご存じの方も多いでしょう。きっとご本人も言っているように、カンがいいのでしょうね。
89~91ページ
広告のページです。
当時有名なビリヤード用品の販売店の1つだった、アルファインターナショナルさんの広告があります。
アメリカのプール界でトップに君臨していたマイク・シーゲルとニック・バーナーの2人と契約して、彼らが使うジョス・キューをはじめ、量産キューからプレミアムカスタムキューまで幅広く扱っていました。
淡路亭さんのテーブルの広告が載っています。
スタッフ野田はスーパーガリオンでプレーヤーとして育ったので、今でもガリオンに出会うと懐かしさがこみ上げます。
裏表紙
いろいろなビリヤードテーブルが紹介されています。
ブランズウイックのゴールドクラウンがありますが、まだ当時はガリオン全盛時代でした。
ガリオンが国際的なトーナメント向きでないことが指摘されて、ブランズウイックに人気が移っていくのはブームが終わってしばらく後のことになります。
第4号は今回で終了です。
近日中に第5号をご紹介します。
キューショップではビリヤード技術向上に役立つ教本類もたくさん取り揃えております。
コロナのためになかなビリヤードをやりに行けないという巣ごもり状態の方は知識面で腕をあげておき、来たるべき日に備えておきましょう!